不登校になると大なり小なり親として焦りを感じてしまうのではないでしょうか。子どもの将来や友達関係、精神面の不安など抱えるものは様々かもしれません。そんな大人の不安を払拭してくれるかのように、小学生の娘は夢を抱きました。真剣な夢のその後は…?
登校しぶり・不登校の前兆のある小学生の娘を受け入れることすらできない親でした
「学校休みたい…」
と、子どもから初めて言われた時、ドキッとしませんでしたか?
きっと、お子さんの登校しぶりのご経験がある多くのお母さんは、お子さんの言葉に対して戸惑われたのではないでしょうか。
娘が初めて行きしぶりがあったのは小学生より前の幼稚園年長さんの頃でした。朝の支度を終えて玄関へ向かおうとする寸前になると、
「お腹が痛い…」
という言葉が出てくる日が頻繁にありました。
朝ご飯も食べることができたし、熱も気にならない程度…。あとは靴を履くだけなのに…。お腹なんてすぐに治るから大丈夫!
と、私は娘の心の声を聞くことすらできない親でした。
娘がもがくので、落としてしまいそうになる状態を必死にくい止めながら抱きかかえて、やっとのことで園バスへ引き渡すような状態が何度も何度もありました。
その後、小学生に上がっても私の対応は少々のことなら学校へ行きなさい!の一点張り。
やっとのことで、「そんなに無理しなくてもいいよ…」という気持ちになれた時は、当時小学2年生だった娘に不調が次から次へと現れてきた時。
それでも、私の頭の中には学校は行かなくてはいけないものという考えが根強くあったのです。
娘の体調を毎日毎日心配になりながらも、担任の先生に言われるがままにどうにか登校させ続けていました。
どんなにわずかな時間でもいいのでとにかく登校させて、学校から離れることはさせてきませんでした。
遅刻登校、保健室登校、別室登校、私も日々付き添いをして一緒に頑張る。毎日頑張っていさえすれば、全てが良くなる!そう信じることしかできなかったのです。
ですが、私が頑張るほど、娘にとっては辛かったのです。徐々に娘の笑顔も元気も消えてしまい、学校まで歩くことすらできない状態になってしまいました。
当時、小学生の3年生になると、娘の心と身体は本当にボロボロな状態と言えるほどに悲鳴をあげていました。
あなたのお子さんは、今どのような状況でしょうか?可愛い笑顔を見せてくれますか?元気に活動できていますか?
大切な娘だからこそ、常識に合わせることに必死になり、自分では努力してケアしてきていたつもりでした。
ですが、私は一番大切にしなければいけなかった娘の心を常に置き去りにしていたのです。
私自身、当時を振り返ると反省してもしきれない程に今でも胸が苦しくなります。
ですが、私を含めて登校しぶりや不登校のあるお子さんの多くのお母さんに、学校へ行くべきという考えがあることは当然なのかもしれません。
なぜなら、世間では学校へ行くことが当たり前という常識の方がまだまだ多いのが現状だと感じるからです。
そんな中、私は思い切って決意したことがあります。
娘に不登校を選択させた小学生の母親
実は、娘が不登校となったのは私が娘へ学校へ行かないという選択肢を与えたことがきっかけです。
きっと、私から現状を変えようとする動きを取らなければ、娘にとっては本当の成長をすることなく時間だけが経過していたと思います。
登校しぶりや不登校状態のお子さんの様子はひとりひとり悩みも違いますし、考え方もそれぞれだと思います。きっと、学校へ通うことの方がメリットのあるお子さんも沢山おられると思います。
ですが、わが家の場合は学校という場所へ通うことだけが最低限の目的となり、その為に精神的な労力を日々使い果たすことに限界がありました。
娘は今あるレールをしっかり守ろうと努力していたのですが、母子登校をしていたので娘より先に私自身がギブアップの状態だったのです。
そして、このような学校生活から抜け出してもっと娘を伸び伸びと過ごさせてあげたいという欲の方が強くなったのです。
その後、娘が小学4年生、そして次女が小学1年生の秋から積極的に不登校生活をスタートしました!
このような私達親子の行動は、学校にとっては想定外のことだったのでしょう。
次は、小学生の娘への不登校・登校しぶりに対しての学校側の対応についてお伝えさせていただきます。
不登校となった途端にもどかしさ!?登校しぶりからその後までの先生の対応とは
それは、学校に行けば「よく来れたね!」という温かい言葉をかけてくれる先生が居れば、それは物凄くラッキーでした。
なぜなら、先生側は学校に来ることが当たり前な認識があるので、学校へ頑張って行ったという行動を褒めれる先生は少ないように感じました。
そして、学校へ行かなければ「何かありましたか?大丈夫ですか?」と、先生は休むことに対してはとても深刻になって心配する様子がありました。
当たり前のことかもしれないのですが、この当たり前こそが学校へ行かないことは普通ではないことという条件を無意識に植え付けられていたように思います。
そんな中、私達親子は不登校という学校に行かない選択をしました。
当時、私達親子の清々しさとは裏腹に、先生方は落ち着きがない様子で私達をまた登校できるように引き戻そうと必死です。
今まで何事もなかったかのように過ごしていた学校側からは、不登校となった途端に次々とあの手この手と提案がありました。
・不登校支援の相談の案内
・スクールソーシャルワーカーの導入
・週1の家庭訪問
・頻繁な電話
など…
校長先生を始めとする先生方は、まるで不登校は大惨事だ!と、異例のような目で私達に対応する様子でした。
とても落ち着きのない様子の校長先生に呼び出され、校長室で事情聴取もされました。
もしかすると、このような焦りを見せるということは学校側としては私の娘が初めての不登校児の対応だったのかもしれません。
そして、家庭訪問に来てくださる担当の先生の口癖はいつも、
「学校から離れてしまうことが怖いんで…」と、いう言葉でした。
今まで娘に対して寄り添うことができなかった私が言えることではないのかもしれないですが、学校の立場しか考えることができないんだなぁ…。
と、家庭訪問に来てくださる度にとても残念な気持ちが残りました。
文部科学省からも不登校への対応は変わってきています。
「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」令和元年10月25日:文部科学省 (mext.go.jp)
つまり、当事者の立場に寄り添うような対応をしましょうという通知が出ているのです。
このような通知がありつつも、やはり学校から見る不登校へ対する目は、学校へ行くことが当たり前という常識を変えることは簡単なことではないのでしょう。
月に1度定期的に訪問へ来てくださっていた教育委員会のスクールショーシャルワーカーさんですら、
「学校へ行けるようになるように…」という、根底の考えがひしひしと伝わってきました。
なぜ、そこまでして学校へこだわるのか?というと、やはり先生方はみなさん子どもの将来のことを考えているからこそだと感じます。
それならば、学校へ行っていなければその後の将来が心配…という子どもを想いやる気持ちだけいただこう。
と、先生へ対して割り切った対応をするのも親として、上手に学校とお付き合いをするコツだと感じています。
本気で夢を描いた不登校小学生を応援する!と決めたその後とは…?
不登校になると、子どものその後の将来が不安…という大人の意見が多い方が現状かもしれません。
不登校になると、その後は好きな仕事に就くことはできないのでしょうか?不登校になると、明るい未来はないのでしょうか?
このような大人の心配や不安を吹き飛ばしてくれるかのように、不登校生活をしていたわが家の当時小学6年生の娘は、子どもの日に夢を語ってくれました。
「自分で作った作品を売ってみたい!」
もの作りが好きな娘は不登校生活の中、ガラス工芸の教室へ通っています。将来、ガラスに関する仕事をしたいという考えを抱いた上で習い始めたのです。
無理をしてまでして学校へ通っていた頃、一時は笑顔もない状態でした。将来のことを考えるどころか、少しでも体調が楽になるように工夫しながら過ごすことで精一杯でした。
体調が良い日があれば幸せという生活をしていた娘は、見るまにガラリと変わっていきました。
自分らしく過ごせる自宅中心の生活をしながら、前向きな夢まで抱くことができたのです!
どちらかと言うと控えめなタイプの娘なので、娘の言葉を聞いた時には母親の私は感情が追い付かず心はフリーズしていました。
とにかく嬉しくて、私は笑顔で
「お母さんも絶対協力するね!」と、娘と約束をしたのです。
そして、娘に「いつ叶えたいの?」と聞くと、
「う~ん、2年後かな」
という娘の返答に、私は内心ビビリながらも笑顔でOKマークを出す以外の選択肢はありませんでした。
私の心の中は、ザワザワ!!ザワザワ!! 世間では、いいものを作っても売れない時代と言われているというのに…(汗)
「ものを売るなんて、どうすればいいの?誰か教えて~!!」と、
娘の前では堂々としていたのですが、私は心の中でずっと叫んでいたのです。
どうにか、娘のピュアな夢を叶えたい!
その日から、私は母として娘の一番の応援者として、どうすれば娘の作った『ものを売る』という夢を叶えられるのだろう?と、必死で考えました。
ですが、私にとっては全くの無知の世界で、どうすればいいのか答えなんてなかったのです…。
私がやれたことは、後先考えずに娘と交わした約束は絶対に守る!と決めたことだけでした。
私は、娘の夢を叶えてあげる自信は正直ありませんでしたが、絶対どうにかする!という覚悟を決めました。
そして、不登校の小学生でも夢を描いてこんなに前を向いて過ごすことができるんだよ!
と、先生へ自慢したくなるほど、ただただ嬉しくて視界が何トーンも明るくなったかのように世界が変わりました。
こんな不登校の小学生生活、なんだか最高!と母として心底思います。
ですが、気分はこんなにウキウキしていたのですが専業主婦の私にとって、娘の夢を叶える手段を手に入れることは、そう簡単なことではなかったのです。
気になるその後については、こちらの第2話でお伝えしています。
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